健康診断で「何かしら影がある」と言われたちゃんさとです。
♯いきなり重い
♯再検査ってドキドキ
さて。
本日は「今日が最後の日だと思って生きる」ってテーマです。
土曜日なので、今思っていることボクの現在地の話をさせてください。
実は、CTを受けてきました。
健康診断で影があると指摘されて、念のための検査です。
もちろん、大丈夫かなとも思っているんですよ。
こういうのは念のため検査して終わることが多い、と聞いたりもするので。
でも、
「もしかすると…」
って、一瞬よぎったんです。
そのとき、ボクの中にひとつの問いが浮かびました。
「このまま死んでしまうとしたら、ああ、良い人生だったなって思えるかな」
ここが、今日のテーマです。
体のほうから問いが来た

実は7月の誕生日の放送でも、「今日が最後の日だとしたら」という話をしたことがあるんです。
スティーブ・ジョブズの話とか、禅の話とかをして。

でも正直に言うと、あのときは頭で考えていた問いでした。
今回はちょっと違った。
体のほうから、問いが来た感じがしたんです。
亡くなる前に「ああ、良い人生だったな」と思えるかどうか。
もしかしたらこれがボクの人生最大のテーマになるのかもしれない。
そのくらい、ずしっときました。
良い人生の物差しは誰のもの

じゃあ「良い人生だった」って何をもって言えるんでしょうか。
- お金をどれだけ稼いだか
- どんな肩書きがあったか
- フォロワーが何人いたか
……たぶん、どれも違うんですよね。
一時的に満たされることはあっても、行き着く先は「で、何だったっけ」になる気がする。
人それぞれ幸せの基準は違う。
だからこそもっと主観的になったほうがいいと思うんです。
自分が本当に楽しいこと、ワクワクすることを、恥ずかしがらずにやる。
ところが、ボクらはどうしても相対的に見てしまう。
あの人と比べて、自分はどうか。
同じ歳の人と比べて、自分はやれているのか。
比べるのって、人間の標準装備なんですよね。
でも、比べてばかりだと、ずっと満たされない。
上には上がいるから、どこまで行っても「もっと上」が見えちゃう。
年収500万円を目指していたとしても、1000万円稼いだところで、今度は1200万円の人がすごく見えてしまう。
♯キリがない
相対的な物差しで「良い人生だった」を測ろうとすると、たぶん一生たどり着けないんです。
最後の瞬間に「良い人生だった」と思えるかどうかは、自分の物差しを持っているかどうかで決まるんじゃないかなと。
最期に人がいちばん後悔すること
ここで、ひとつ紹介させてください。
オーストラリアで、人生の最期を迎える方のそばで、長く介護の仕事をしていた女性がいます。
その方が、最期を迎える人たちから聞いた後悔を本にまとめていて、日本では『死ぬ瞬間の5つの後悔』というタイトルで出ています。
研究というより、そばにいた人の記録です。
その中で、いちばん多かった後悔がこれなんです。
「他人が期待する人生じゃなくて、自分に正直な人生を生きる勇気があればよかった」
……どうですか??
「もっと出世すればよかった」じゃないんですよ。
「もっと人より上に行けばよかった」でも、「もっとお金を稼げばよかった」でもない。
人の物差しで生きると最後に後悔する。
自分の物差しで生きると、最後に「よかった」と言える。
ちなみに、ほかの後悔には、
「働きすぎなければよかった」
「自分の気持ちを伝える勇気があればよかった」
なんてものもあるそうで。
……ボク、どれを聞いても耳が痛いです。特に働きすぎ問題。
楽しくて、満たされる時間になっているならいいんです。
でも1日は24時間しかないから、どこかにしわ寄せがいく。
子どもとの時間、妻との時間、自分がいい気持ちになれる時間。
そっちが削れていないかは、ちゃんと見ておきたいなと思いました。
ボクの物差しはおじいちゃん

じゃあ、ボクにとっての「良い人生」の物差しって何だろう。
考えていたら、浮かんだのは、やっぱりおじいちゃんの顔でした。
この放送でも何度か話していますけど、ボクはおじいちゃん子で、おじいちゃんが大好きでした。

おじいちゃんは、ボクが20歳のときに亡くなりました。
それから20年ぐらい経ったある夏まつりの日。
近所のおじさんに、ふいに言われたんです。
「お前のじいちゃんに助けてもらって、今の俺がいる」
おじいちゃんが何を持っていたか、どんな仕事をしていたか。
そういうことを覚えている人は、たぶんもうあまりいない。
でも、助けてもらった記憶は、20年経ってもちゃんとその人の中に残っていた。
それがめぐりめぐって、孫のボクの代にまで届いて、ボクが生きる力や、こういう人になりたいという原動力にまでつながっている。
これ、めちゃくちゃエモくないですか??
ボクにとっての良い人生には、たぶんこれがかなり含まれているんです。
誰かの中にあたたかい記憶として残ること。
まだ出会っていない人かもしれないし、もう出会っている人かもしれない。
子ども、妻、父、母、姉ちゃん、じいちゃん、ばあちゃん。
全員にとって、そんなふうになれたらいいなと思ったんです。
比べる相手がいないボクだけの物差し。
正直、今のボクが「良い人生だった」と胸を張って言えるかは、まだ分かりません。
でも、物差しが見えているだけで、ちょっと安心している自分がいるんですよね。
「あ、これを基準にやっていけばいいんだ」と。
支援の場でも物差しは本人のもの

これ、ボクの仕事の話にもつながるなと思っていて。
ボクらは計画を立てるとき、
- 就労できた
- ひとり暮らしできた
- 通院が続いている
そういう物差しで、つい「うまくいっているか」を測っちゃうじゃないですか。
でも、その人にとっての良い人生の物差しは、その人自身のものなんですよね。
ボクらの物差しで「順調ですね」と言っていても、本人の物差しでは全然違うかもしれない。
「あなたにとって、良い1日ってどんな1日ですか?」
そう聞くことのほうが、大事なのかもしれません。
返ってくる答えは、本当に人それぞれだと思うんです。
「朝、ゆっくりコーヒーが飲めたら良い日」
「誰かと一言でも話せたら良い日」
「何もしなかったけど、イライラしなかったら良い日」
どれも比べようがない。
でも、どれもその人にとっては、立派な「良い1日」なんですよね。
ボクらの物差しをいったん横に置いて、その人の物差しを一緒に探す。
それも、相談支援の大事な仕事なんだと思います。
最後に
今日が最後の日だとしたら。
そう考えるのは、怖いことじゃなくて、自分の物差しを確かめることなのかもしれません。
ボクの物差しは、たぶん「誰かの中に、あたたかい記憶として残ること」。
みなさんにとっての「良い1日」って、どんな1日でしょうか。
今日も小さな一歩で大丈夫です。ではまた。
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参考文献・出典
- ブロニー・ウェア『死ぬ瞬間の5つの後悔』(仁木めぐみ訳、新潮社)。
オーストラリアで終末期の介護に携わった著者が、最期を迎える人たちから聞いた後悔をまとめた本(研究ではなく、そばにいた人の記録) - 2026年7月3日のVoicy「今日が最後の日だとしたら ― 誕生日の朝に、ジョブズと東洋哲学を考える」
naKaraからの補足|自分らしい暮らしを大切にする相談支援
「良い暮らし」の形は、一人ひとり異なります。
仕事をすることや自立した生活を送ることが目標になる人もいれば、安心して毎日を過ごすことや、大切な人との時間を楽しむことを望む人もいます。
相談支援では、目に見える成果や周囲が考える理想だけでなく、本人が何を大切にし、どのような暮らしを望んでいるのかを知ることが重要です。
そのためには、本人の言葉に耳を傾け、気持ちや希望を一緒に整理しながら、その人に合った選択肢を考えていくことが大切です。
誰かの基準に合わせるのではなく、一人ひとりが自分らしい暮らしを見つけていけるように寄り添うこと。それが、相談支援の大切な役割の一つではないでしょうか。






