最近、夜になると子どもの宿題の進み具合が気になってそわそわしてしまうちゃんさとです。
♯ 自分の宿題じゃないのに??
でもね、今日はその「そわそわ」の話から始めたいんです。
ボクね、以前はこんなことをよく言っていました。
「そのままだとちょっとまずい気がするんで、今のうちにこれやっといた方がいいですよ」
「今のうちに、これ考えておきましょう」
言った直後は、なんかいいことを言った気がしていたんですよ。
だって、その人の将来を思って言っているから。
でも今振り返ると、思うんです。
それって本当に、あの人のためだったのかな。
支援とお節介は、見た目がそっくり
支援とお節介って、まったく違うものじゃないですか。
でもこの二つ、見た目がめちゃくちゃ似てるんですよ。
どっちも相手のことを考えているし、どっちも相手によくなってほしいと思っている。
そしてどっちも、ちゃんと行動している。
じゃあ何が違うのか。
僕なりに言葉にすると、決めているのが誰かという違いなんですよね。
- 支援は、相手が決めるのを手伝う
- お節介は、こっちが決めたことをやらせる
たったこれだけの違いなんですけど、現場に立っていると、この線がスーッと見えなくなる瞬間があるんです。
「この人のためだ」と思って、「こうした方が絶対いい」と思った瞬間。
僕はもう、相手のハンドルを握りに行っているんですよね。
しかも厄介なのが、善意でやっているから、自分では気づけない。
悪気があれば、まだ気づけるんですよ。
でも善意だと、疑うことすらしないんです。
なぜ押しつけてしまうのか、二つの正体
理由は一つじゃないなと思っていて、ボクの中には二つありました。
一つ目は、自分が不安だから。
目の前の人が間違った選択をしようとしているんじゃないか。
このままだと失敗するかもしれない。
それを見ているのが、不安で、怖い。
支援者としてどうにかしなきゃ、と思ってしまう。
だから先回りして止めたくなるし、自分の価値観で安全なレールに乗せたくなる。
そして二つ目。これはちょっと言いにくいんですけど、自分の保身も混ざっているんです。
支援がうまくいかなかったとき。
「あの相談支援専門員、ちゃんと関わってなかったよね」って、周りに言われるんじゃないか。
看護師さんだったら「体調管理、見てなかったんじゃないか」。
薬剤師さんだったら「薬のこと、全然見てなかったんじゃないか」。
そう言われるかもしれないと思うと、怖いんですよ。
専門職として関わっているのに、やれていないと思われたくない。
だから「相手のために」というより、「ちゃんとやっている自分」を守るために、口に出してしまう。
健康のためも、将来のためも、半分は本当に相手のためです。
それは間違いない。
でも残りの半分は、心配な自分を安心させるためだったり、評価される支援者としての自分を守るためだったりする。
家でも、同じことをやっていました
これね、支援の現場だけじゃないんですよ。
ボク、家でもやってしまっているんです。
「早く勉強しなさい」
「あなたのためだよ」……ここまでは言わないけど、それに近いことは日常的に言ってしまっている。
でもさ、あれ本当に子どものためかっていうと。
宿題をやっていない状態を見ているボクが、落ち着かないんですよ。
ちゃんとしてない親だと思われるんじゃないか、みたいな。
こっちの都合が、しっかり混ざっているんですよね。
「支援者なのに」「親なのに」。
その肩書きが、その立場が、ボクに「あなたのため」と言わせてしまう瞬間が、確かにあるんです。
「あなたのため」は、ときどき「私が安心したいから」の言い換えになっている。
ときには「私が責められたくないから」の言い換えになっている。
……なんか自分で書いていて、ちょっと心が痛くなってきました。
「私たち抜きで決めないで」
ここで少し、海の向こうの話をさせてください。
フィンランドに「オープンダイアローグ」という精神科の支援のやり方があります。
名前は難しそうなんですけど、中身はめちゃくちゃシンプルなんですよ。
本人を抜きにして、本人のことを決めない。
これをとことん徹底して、対話で進めていく。
支援者だけで集まって「この人の支援はこれがいいよね」と先に決めてしまう。
これを、やらないんです。
必ず本人がいる場で、本人の言葉をど真ん中に置いて話す。
そして世界には、こんな有名な言葉があります。
私たちのことを、私たち抜きで決めないで (障害者権利条約)
障害のある方々が、ずっと言い続けてきた言葉です。
これってね、遠い国の特別な話じゃないんですよ。
ボクが「あなたのため」と先回りしたあの瞬間に、まさに忘れていたことなんです。
じゃあ何も言わない、でもない
かといって「お節介になるなら、もう何も言わないでおこう」。
これは支援を手放すことになってしまう。
そうじゃなくて、ボクが最近やっているのは、順番を変えることなんです。
- まず、言いたいことを一旦しまって、最後まで聞く
- そのうえで「本当はどうしたい?」を先に置く
- 提案があるなら「僕はこう思うんだけど、どうかな」の形にする(命令じゃなく提案)
- 決めるのは、あくまで相手
- もし違う道を選んでも「もししんどかったら、いつでも言ってね」と伝えておく
これがね、今のところ精一杯なんですよ。
偉そうに書いていますけど、ボクもまた明日、「あなたのため」って口を滑らせてしまう気がしています。
気を抜くと、やってしまうんですよね。
だからこそ、そう思った瞬間に一度立ち止まって、問い直したいんです。
これ、本当に誰のためなんだっけ。
最近「あなたのため」と言いたくなった場面、ありませんでしたか。
そのとき、決めていたのは誰だったでしょうか。
正しさだけじゃなく、自分らしさも大切に。
今日も小さな一歩で大丈夫です。
ではまた。
naKaraからの補足|「一度決めたこと」を変えても大丈夫です
相談支援では、ご本人の希望や生活の状況を聞きながら、必要な福祉サービスや支援を一緒に整理していきます。
そのとき大切なのは、「一度決めた計画どおりに進めること」だけではありません。
実際にやってみると、
「思っていたのと少し違った」
「今はもう少しゆっくり進みたい」
「やってみたことで、別のことに挑戦したくなった」
という変化が出てくることもあります。
そんなときは、その時点での気持ちや状況をもう一度確認しながら、支援の方法や目標を一緒に考え直していくことができます。
最初に決めたことを変えることは、「失敗」ではありません。
実際に経験したからこそ分かることもありますし、生活や気持ちが変われば、必要な支援が変わることもあります。
naKaraでは、支援する側が「この方がいい」と答えを決めるのではなく、ご本人の「今はどうしたいか」を確認しながら、その時々に合った選択肢を一緒に考えていくことを大切にしています。
「どうしたいか」が、まだ分からなくても大丈夫です
「本人が決める」と言われても、最初から自分の希望をはっきり言葉にできるとは限りません。
「今のままでは少し困っているけれど、どうしたいのかは分からない」
「選択肢が分からないので、自分では決められない」
というところからでも相談できます。
選べる方法を一緒に確認したり、それぞれのメリットや気になる点を整理したりしながら、ご本人が納得できる選択を探していきます。
相談支援について気になることや、「まず何から考えればいいのか分からない」といったことがありましたら、お気軽にお問い合わせください。





