月曜の朝から声がガラガラのちゃんさとです。
♯それでもVoicyは収録はする
♯もはやこだわり
さて。
本日は「完璧じゃなくていい6割でも続ける」ってテーマです。
月曜日って、なんだか「完璧にやらなきゃ」って気持ちになりがちじゃないですか。
1週間ちゃんと乗り切らなきゃ、みたいな。
ボクはまさにそうなんです。
みなさんにも、ちょっと当てはまるところがあるんじゃないかなと思っています。
ここが、今日のテーマです。
毎回完璧になんてできない

まずボク自身の話からさせてください。
いま、いろんな発信をやっているんですよ。
YouTube、Voicy、スタンドFM、note、サブスタック、Threads…このくらいかな。
並べると自分でもちょっと引くくらいやっています。
♯やりすぎ
で、よく聞かれるんですよね。
「よくそんなにやれますね」
「よく続けられますね」
「よく時間ありますね」
でも正直に言うと…毎回完璧になんて、できないんですよ。
体調が悪い日もある。
先週なんて膀胱炎でしたし。
ネタが浮かばない日もある。
今日みたいに、声がガラガラの日もある。
そういう日は「今日は6割でいいや」と思って出しちゃうんです。
もちろん、毎日出し切るつもりでやっています。
でも完璧を求めすぎると、続けられなくなる。
だからこそ、続けてこられたんだと思うんですよね。
昔のボクは出せなかった
でもね、ずっとこうだったわけじゃないんです。
昔のボクは、できなかったんですよ。
中途半端なものを出すくらいなら、出さないほうがいい。
本気でそう思っていました。
で…出さない日が続くと、今度は再開するのが怖くなるんですよね。
完璧を目指したせいで、止まってしまう。
みなさんにも、ありませんでしょうか。
「ちゃんとやれないなら、やらない」になってしまうこと。
割れたところを金色に

日本には昔から「わびさび」という考え方がありますよね。
ざっくり言うと、欠けているところや古くなったところを、隠すべき欠点じゃなくて味わいとして楽しむ考え方です。
そこから生まれた技術に「金継ぎ」があります。
割れてしまったお茶碗を漆でつなぎ合わせて、そのつなぎ目に金を塗るんです。
普通、逆じゃないですか。
割れたところって、目立たないように直したいじゃないですか。
でも金継ぎは、割れたところをわざと金色に光らせる。
傷を隠すんじゃなくて、傷ごとそのお茶碗の歴史として慈しむんですよね。
金継ぎの教室を開いている職人さんが、こんなことを大事にしていると話していたのを聞いたことがあります。
割れや欠けをなかったことにするんじゃなくて、その歴史ごと受け入れて、新しい美しさに変える
この考え方の根っこには、禅の「形あるものはいつか壊れる」という当たり前の事実を、静かに受け入れる姿勢があるそうです。
壊れないように完璧にするんじゃない。
壊れたあとも使い続ける前提で、どうするかを考える。
これ、めちゃくちゃいいなと思ったんですよ。
減点方式が染み付いている
じゃあなんでボクら、こんなに完璧主義になりやすいのか。
ひとつは、学校のテストの「減点方式」かもしれません。
100点から、間違えた分を引いていく。
この見方に慣れてしまうと、挑戦して失敗して減点されるより、間違えないほうが評価される…ってことになるんですよね。
それが染み付いちゃう。
だから、失敗すること自体が怖くなる。
発信もそうなんです。
「間違ったことを言ったらどうしよう」
「中途半端なものを出したらどう思われるんだろう」
100点から引かれる自分ばかり想像しちゃうんですよね。
発信は筋力と同じ

でもね、6年間発信を続けてきて思うのは、発信って筋力と同じなんですよ。
やり続けないと衰える。
以前は走れていたのに、しばらく走らなかったら走れなくなるじゃないですか。
すぐ疲れるし、長い距離なんてとんでもない、みたいな。
あれって気持ちの問題じゃなくて、筋力が落ちただけなんですよね。
発信もまったく一緒で、完璧な1本を月に1回出すより、6割でもとにかく続けるほうが筋力はちゃんと育つ。
6年やって、ボクはようやく毎日やる体力がついてきたなと思っています。♯ようやく
たまに出すだけだと、そのぶん「より完璧にしなきゃ」になるし、筋力もついていない。
これ、めちゃくちゃしんどいんですよ。
ダンベルだって、いつもの5キロを5キロのまま続けるのと、いきなり8キロを目指すのとでは、全然違うじゃないですか。
それと一緒だなと思っています。
面談も6割の日がある
で、これは対人援助職の仕事にもつながるなと思っていて。
ボクら対人援助職って、完璧主義になりがちなんですよね。
完璧な計画書。
完璧な面談。
完璧な会議。
完璧な対応。
でも毎日100点なんて、絶対無理じゃないですか。
疲れている日もあるし、うまく言葉が出ない日だってある。
そういう面談だって、あるわけです。
そんな日に「今日の面談は失敗だった」と自分を責めるんじゃなくて。
「今日は6割だった。でも、関わりは続いた」と思えるかどうか。
これが大事だなと思っています。
もちろん、その日その日に全力で取り組むのは大前提です。
目の前の人の可能性を100%引き出すつもりで関わる。
それでも6割になってしまう日はある。
そこは、責めない。
欠けたところごと見る

そしてこれは、利用者さんにも一緒なんですよね。
通所が週5日から週2日になった。
前はできていたことが、できなくなった。
これを「後退」として見るのか。
それとも、欠けたところも含めて、その人の「いま」として見られるのか。
金継ぎみたいに、欠けたところをなかったことにしない。
つないで、また使い続ける。
支援って、たぶんそんな感じなんだろうなって。
金継ぎの話に触れて、そう思ったわけでございます。
最後に
今日、もし何か「ちゃんとやれないならやめておこうかな」と思ったことがあったら。
6割でいいので、出してみてください。
メールの返信でも、片付けでも、運動でも、発信でも。
日常のことなら、なんでもOKです。
6割で出したものは、あとから金でつなげられる。
ボクはそう思いたいんです。
でも、出さなかったものは、つなぐこともできない。
出したら、そこから直せるじゃないですか。
「今日はちょっとまずかったな」とか「明日につなげよう」とか。
1回出してうまくいかなかったからこそ、次のベストにつながるのかもしれません。
みなさんにも、「完璧じゃないから」と出しそびれているもの、ありませんでしょうか。
ではまた。
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⸻ 参考文献・出典
- 吉田兼好『徒然草』第82段。
「すべて、何も皆、事のととのほりたるは、あしき事なり。し残したるを、さて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり」(何もかも整いすぎているのはよくない。やり残しがあるほうが趣があり、長続きする) - 岡倉天心『茶の本』(1906年)。
茶室(数寄屋)を、わざと何かを未完成のまま残して想像力にゆだねる「不完全なもの」を尊ぶ場所として語っている
相談支援で大切にしたい、一人ひとりのペース
相談支援では、利用者さんの体調や生活環境、気持ちの変化によって、当初の計画どおりに進まないこともあります。
例えば、これまで週5日通所できていた方が、体調の変化によって週2日の通所になった場合、それを単純に「できなくなった」と捉えるのではなく、今の本人にとって無理のない生活や活動のペースを一緒に考えることが大切です。
目標を達成することだけが支援の成果ではありません。本人が安心して相談できる関係を築き、状況に応じて目標や支援方法を見直していくことも、相談支援の重要な役割です。
完璧な状態を求めるのではなく、その時々の本人の思いや希望を大切にしながら、無理なく次の一歩を考えていく。
naKaraでも、一人ひとりの状況や思いに寄り添いながら、その人らしい暮らしやこれからの選択を一緒に考えていくことを大切にしています。
相談支援について詳しく知りたい方や、日々の暮らしの中で気になることがある方は、ぜひnaKaraの相談支援についてご覧ください。






