今日が最後の日だとしたら…

今日が最後の日だとしたら、と人生について考える人物の画像

実は本日7月3日は誕生日でして。45歳になりました、嬉しはずかしちゃんさとです。
♯おめでとうは大丈夫です(笑)

その代わりと言ってはなんですが、今日は誕生日の朝にしか書けない話を書いてみようと思います。

タイトルは「今日が最後の日だとしたら」ってテーマですね。

いや、めでたい日の朝に何を縁起でもない話をしとんねん、って感じなんですけど(笑)
先に言っておくと、怖い話ではないです。
むしろ、前向きな話です。

目次

誕生日は「残りが1年減った日」


誕生日って、生まれてから1年増えた日じゃないですか。
でも同時に、残りの時間が1年減った日でもあるんですよね。

ボク、以前に「死を意識するワーク」というのを受けたことがあるんです。

死を意識してみると、いま当たり前にあるものが、すごくかけがえのないものに感じられたり。
自分にとって本当に大切なものが見えてきたり。

そのとき思ったんです。
こういう機会って、あえて持たないと、なかなか気づけないなって。

だから今年は「残りが1年減った日」という観点で誕生日を過ごしてみたら、いろんなものの見え方が変わった気がして。
今日はそんな話です。

ジョブズの言葉は根性論じゃない


「今日が最後の日だとしたら」という問いで有名なのは、スティーブ・ジョブズですよね。

スタンフォード大学の卒業スピーチで、彼はこう言っています。

毎朝、鏡の中の自分に問いかける。
「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを、私は本当にやりたいだろうか」

この言葉、結構誤解されがちなんですよ。
「毎日死ぬ気で全力疾走しろ」という意味だと思われがちなんですけど、違うんです。

ジョブズはこのあと、こう続けています。

「ノーという答えが何日も続いたら、それは何かを変えなきゃいけないサインだ」

つまりこれ、根性論ではなくて、人生の点検方法の話なんですよね。

「ノー」の日があっても全然OK。
ノーが続いたら、そのとき初めて「変えること」を考えればいい。

この言葉のルーツは東洋にあった


もうひとつ、あまり知られていない話。

ジョブズのこの死生観の元には、禅があると言われています。

彼は若い頃から、乙川弘文さんという日本の僧侶を師匠にしていました。
結婚式もこのお坊さんが執り行ったくらいの、深い関係だったそうです。

つまりあの有名な言葉は、東洋の知恵がアメリカ経由で世界に広まったものとも言えるんですね。

じゃあ、元祖の東洋では、どんなふうに言われてきたのか。
ここからが今日の本題です。

ブッダが褒めたひとつの答え

ある日、ブッダがお弟子さんたちに聞いたそうです。
「お前たちは、死をどれくらい意識して修行しているのか」

一人目が答えます。
「あと一日の命だと思って励んでいます」

ブッダは褒めませんでした。

別の弟子が答えます。
「ご飯一回分の間の命だと思って励んでいます」

まだ褒めません。

最後の弟子が、こう答えました。
「この一呼吸しか命がないかもしれないと思って励んでいます」

ブッダが褒めたのは、この答えだったそうです。

いや、ハードル上げすぎでしょ??と思うんですけど(笑)

でもこれ、「死に怯えろ」という話ではないと思うんです。

いま吸って吐いている、この呼吸の中にしか人生はない。

ものすごくシンプルなことを言っているんじゃないかなと。

2500年前のブッダと、現代のジョブズが、ほぼ同じことを言っている。
ちょっと鳥肌ものだなと思うんですよね。

裏を見せ表を見せて散るもみじ


もうひとつだけ、どうしても紹介したい言葉があります。
良寛さんという禅僧の、辞世の句と言われているものです。

「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」

もみじの葉っぱって、ひらひら散るとき、裏を見せたり表を見せたりしながら落ちていくじゃないですか。

かっこいい面も、ダメな面も、全部見せて散っていく。

ボク、この歌に出会ったとき、しばらく固まったんですよ。

なぜなら、ボク自身が失敗が怖くて、ずっと2番手を選び続けた人間だったから。
放っておくとすぐ、カッコつけたり、嫌な部分を隠そうとしたりしてしまうんです。

でも、裏も表も全部込みで、ボクの散り方でいいんだって。

誕生日の朝に思い出すには、ちょうどいい歌だなと思っています。

支援者こそサボっていないか


で、ここからいつものように、支援の話に結びつけたいんですけど。

僕たち対人援助職は、利用者さんには「どう生きたいですか」「本当はどうしたいですか」と問いかけますよね。

でも、同じ問いを自分に向けることって、ありますか。

偉そうに言っていますが、僕が一番サボってきました。

だから、年に一回でいいと思うんです。
誕生日でも、年末でも、いつだっていい。

「今日が最後の日だとしたら」を、自分に問いかける日を、ひとつ作ってみる。

茶道では「一期一会」なんて言いますけど、同じメンバーで今日という日を過ごせるのは、きっと今年この日だけなんですよね。

最後に

みなさんは最近、「今日が最後の日だとしたら」って、自分に問いかけたこと、ありますか。

答えが「ノー」でも大丈夫。
ノーが続いたときだけ、少し立ち止まればいい。

この話は、Voicyでも話しています👇

ではまた。

naKaraからの補足|大きな問いを、暮らしの小さな問いに変えてみる

「今日が最後の日だとしたら」と聞かれると、少し大きすぎたり、重く感じたりすることもあるかもしれません。

そんなときは、無理にその問いに答える必要はありません。

もう少し日々の暮らしに近い問いに置き換えてみることもできます。

「今の生活で、これからも大切にしたいことは何だろう」
「今のままで続けたいことは何だろう」
「少しだけ変えてみたいことはあるだろうか」
「最近、もう少しこうだったらいいなと思ったことはあるだろうか」

こうして考えてみると、「人生をどうしたいか」という大きな答えが見つからなくても、自分が今大切にしていることが少しずつ見えてくることがあります。

相談支援でも、最初から将来の目標がはっきり決まっている必要はありません。

今の生活について一緒に振り返りながら、「これは続けたい」「ここは少し困っている」「こんなことができたらいい」といった一つひとつの思いを整理していくことができます。

naKaraでは、大きな正解を決めることよりも、その人にとって今ちょうどいい一歩を、一緒に考えていくことを大切にしています。

「どうしたいか」がすぐに分からなくても大丈夫です

「どうしたいですか?」と聞かれても、すぐに答えが浮かばないことはあります。

そんなときは、

「これは嫌ではない」
「これは続けたい」
「これは少ししんどい」

といったところから考えても構いません。

話をしながら一緒に整理していくことで、自分が大切にしたいことや、これから選びたいことが少しずつ見えてくることがあります。

「これからの暮らしについて一度整理してみたい」「何を相談すればいいのかはまだ分からない」という段階でも、相談支援を利用することができます。

気になることがありましたら、お気軽にお問い合わせください。

この記事を書いた人

ちゃんさと@精神保健福祉士/相談支援専門員

誰かの「どうしたい?」を聞いて15年。
自分の「どうしたい?」は、誰にも聞かれない。
対人援助職のための部屋を開いています(初月無料)。
障害年金・障害福祉はYouTubeで(3.7万人)。
すり減らない働き方の話→ https://chansato.substack.com

目次