稲の花粉にやられていることを言い訳にしてルーティンの日曜日のVoicyをしれっと休んだちゃんさとです。
♯完全な言い訳
さて。
本日は「助けてが言えないのは、弱いからじゃない」ってテーマです。
ボク「大丈夫です」って簡単に言っちゃうタイプなんですよ。
ノープランでも「大丈夫です」。
言ってしまったからには、どうにかやらなきゃいけない。
無理やりやる気のスイッチを入れているとも言えるし、無理をしているとも言える。
完全に諸刃の剣なんですよね。
これで救われたこともあるし、失敗したこともたくさんあります。
- 熱があるのに「大丈夫です」
- 仕事がパンパンなのに「自分がやります」
- 本当はしんどいのに「みんな頑張ってるしな…」
SOSが出ているのに、飲み込んでしまう。
こういうこと、ありませんか??
ここが今日のテーマです。
支える側ほど頼れない

これ、ボクら対人援助職の職業病でもあると思っていて。
対人援助職って制度上「支える側」になっているじゃないですか。
利用者さんには「困ったら言ってくださいね」って言っている。
でも、自分が困ったときには言えない。
めちゃくちゃ多いんですよ。こういう方。
♯ボクのことです
「頼るのはダメ」
「頼るのは弱い」
「人に迷惑をかけちゃいけない」
そういうのが、体に染み込んでいるんですよね。
でね、これボクだけじゃないらしくて。
去年の日本の研究で、日本人はアメリカ人に比べて、困ったときや心が苦しいときに人に助けを求めにくいことが分かったんですって。
理由のひとつが面白くて。
「苦しんでいるのは、その人が何か悪いことをしたからだ」
つまり「自業自得」で考えてしまう文化のクセが人への思いやりを弱めているんじゃないか、と。
だから最近、「受援力」=助けを受け取る力、という言葉が大事だと言われるようになってきているんです。
…で、この「頼れない問題」に、仏教は2500年前から答えを出していたんですよ。
恵んでもらうのが修行

お坊さんの修行に「托鉢」というのがあります。
お椀のような鉢を持って家々を回り、食べ物やお金をいただく修行です。
お釈迦さまの時代から、ずっと続いているそうです。
ここからが、今日いちばん言いたいところで。
仏教では、人に頭を下げて恵んでもらうことが、恥ずかしいことじゃなくて修行そのものなんです。
普通、逆じゃないですか。
人に頼らず、自分でやれるようになるのが修行。そう思いますよね。
でも托鉢の目的は、そうじゃない。
「自分は多くの人に生かされている」という感覚を、体で覚えるためなんですって。
人に頼らないと生きていけない、という事実を隠すんじゃなくて、まっすぐ受け止める。
…ボク、これを知ってちょっと恥ずかしくなったんですよ。
「自分でやります」って言っていたボクは、生かされていることを見て見ぬふりしていただけなんだなって。
誰だって、誰かに頼り、頼られながら生きている。
なのに、自分だけで自分のことをやっているような気になってしまう。
だから托鉢は、あえて「いただく」ことを修行にしているんですね。
托鉢って、抜ける前から、それを見にいく修行なんですよね。
頼られる側もうれしい

もうひとつ、大事な考え方があります。
仏教では、お布施をする側も「徳を積む」ことになると考えるそうなんです。
つまり、頼る人と助ける人は「してあげる/してもらう」の上下じゃない。
お互いに施し合っている。対等なんです。
これ、ボクらの仕事に引きつけると、すごく大事なことで。
支援って、放っておくと「してあげる側」と「してもらう側」に分かれちゃうじゃないですか。
利用者さんは、ずっと「してもらう側」。
でも前に返報性の話をVoicyでもしましたが、してもらってばかりって、実はめちゃくちゃしんどいんですよね。
托鉢の考え方でいくと、利用者さんがボクに何かを頼むことは、ボクに「よいことをする機会」を贈ってくれていることになる。
何かしたときに笑顔で返してもらえると、それだけでボクの心が満たされる。
そう考えると…
「すみません、お願いしてもいいですか」って言われたとき、ちょっと受け取り方が変わりませんか??
奈良のお寺から始まった「おてらおやつクラブ」という活動があります。
名前だけ聞くと「何それ??」なんですが、めちゃくちゃ真剣な活動で。
お寺のお供えのお菓子を、生活が苦しいご家庭におすそわけしているんです。
いまは全国2,200以上のお寺がつながっているそうです。
この活動の合言葉が、これ。
「たよってうれしい、たよられてうれしい。」
めちゃくちゃいい言葉じゃないですか。
「助けて」をマイナスにしない。
頼るほうも、頼られるほうも、うれしい。
これが、仏教が2500年かけて用意してくれた「頼っていい理由」なんだと思います。
小さく頼む

で、自分の話に戻すと。
「大丈夫です」が口癖のボクが、明日からいきなり「助けてください」と言えるかというと…
無理なんですよ(笑)
でも托鉢って、いきなり大きなものを頼まないんですよね。
一軒一軒、お椀を差し出して、少しずつ少しずついただいていく。
だからボクも、小さいところから。
「これ、ちょっとやってもらっていいですか??」
「このやり方、教えてもらっていいですか??」
それくらいでいいと思っています。
弱さを見せているんじゃなくて、相手に「よいことをする機会」を贈っている。
そう思えば、ちょっとだけ言いやすくなる気がするんです。
対人援助職のみなさんは、利用者さんに「頼っていいんですよ」と言う前に、自分が誰かに頼れているかを一回見てみてください。
頼れない支援者の「頼っていいですよ」は、たぶん届かないので。
以前、長女に「助けてが言えることは、弱さじゃなくて力だよ」と話したことがあります。
あれ、自分に言わなきゃいけない言葉でした。
♯ブーメラン
最後に
今日、何かひとつ、小さなことを人に頼んでみてください。
「これ、ちょっと教えてもらっていいですか」
「これ、ちょっとだけやってもらっていいですか」
そのくらいで全然大丈夫です。
頼まれた人は、ほんの少しうれしくなるじゃないですか。
自分だって、誰かに頼られたらめちゃくちゃうれしい。
なのに自分は頼れない。
それはたぶん、「自分だけでどうにかしよう」としているからで…
もしかしたら、それが自分を苦しめているのかもしれません。
みなさんは最近、誰かに小さく頼めていますでしょうか。
ではまた。
参考文献・出典
- 托鉢・お布施から見る仏教の心(シャンティ国際ボランティア会)(托鉢の意味、布施は施す側の徳にもなる)
- 第38話『仏教と托鉢』(耕雲寺)
- 政策最新キーワード『受援力』(同志社大学)
- 名古屋大学の研究(2025年):日本人はアメリカ人より助けを求めにくく、「自業自得」の考え方が思いやりを弱める
- おてらおやつクラブとは(認定NPO法人おてらおやつクラブ)
(全国2,200か寺以上、合言葉「たよってうれしい、たよられてうれしい。」)
naKaraからの補足|naKaraが大切にしたい「頼れる関係づくり」
誰かに助けを求めることは、決して簡単なことではありません。
「こんなことで相談してもいいのだろうか」「相手に迷惑をかけてしまうのではないか」と考え、困っていても一人で抱え込んでしまう方もいます。
だからこそ、相談支援の現場では、困ったときに安心して気持ちを伝えられる関係づくりが大切だと考えています。
最初から自分の困りごとをうまく説明する必要はありません。「少し話を聞いてほしい」「何から相談すればいいかわからない」といった言葉から始めてもよいのです。
また、支援する側も一人ですべてを抱え込むのではなく、必要に応じて周囲と相談し、協力しながら支援を進めていくことが大切です。
頼る人と頼られる人を一方的に分けるのではなく、お互いを尊重し、支え合える関係をつくること。
そんな関係づくりを、naKaraでも大切にしていきたいと考えています。





